今も切ない「爪」の思い出

メイク&ネイル

大人のおしゃれ塾、田中です。

梅雨時なのに、アイキャッチ画像が「イチョウ」?
と思われた方、多いことと思います。

画像のストック切れ?
季節感がない人?
ごもっともです。。。

じつは、一昨日「ネイルケア」のことをブログに書いてから、あの日のことが、思い出されて仕方ないのです。

写真のように、秋晴れが美しい日でした。

その日、私は、恩師のご自宅を友人と訪問していました。

先生は、70歳を超えておられましたが、10年ほど前に再婚され、小1の坊ちゃんがおられました。

「高齢の芸能人が若い奥さんを」といった興味本位の記事はよく見かけますが、先生のご家庭は、奥様との年齢差はありますけれど、ほのぼのとした温かさに満ちていました。

そんな奥様が、昼食に「栗ご飯」を作ってくださったのです。

栗はお庭に自生している栗だそうです。

化粧気はなく、服装もグレーで控えめな奥様が、「今日はようこそ、何もありませんけど」とおっしゃりながら、栗ご飯をお茶碗によそってくださいました。

その時、私たちは目が釘付けになりました。

奥様の手は、手も指も爪も、爪の間も、真っ黒なのです。

先生も驚かれたのでしょう「その手はどうした!」と。

咎める口調ではありませんでしたが、私は何か胸が締め付けられるような気がしました。

私たちに「採れたての栗で栗ご飯を」と思ってくださった奥様。

「渋皮むき」がどんなに根気がいる作業であることか、そして「渋皮むき」の結果、おそらく奥様自身も驚かれたであろう渋皮の染色力!

10本の爪に入り込んだ「黒」は、ビジュアル的に衝撃的でした。

奥様の優しいお心と、衝撃的な見た目と、先生の悪気はないけれど「その手はどうした!」がないまぜになって、あの日の情景は今も私の記憶の引き出しに。

引き出しのラベルは「切なさ」でしょうか。

「美しさ」という問題には、内面的な美、精神的な美、という概念が加わってきます。

ネイルケアで得られた美しい指先、そういった「分かりやすい美しさ」の一方で、

こうした「外面的な美を伴わない美しさ」が存在する、ということも忘れないでいたいと思うのです。