循環型社会・江戸時代の日本

ファッション

大人のおしゃれ塾、田中です。

昨日の「リメイクと3R」に続き、本日はリメイクと環境の話になります。環境問題となると、問題の大きさと深刻さについ引きがちになりますが、どうぞ話にお付き合いください。

循環型社会の理想

いろいろな文献やネット上で、循環型社会の理想的な在り方として、江戸時代の日本がよく例としてあげられています。

私も「衣生活論」という授業で、環境問題について話すときには必ず、江戸時代をとりあげていました。

江戸時代は1603年から1867年までの265年間、鎖国しながら独自の経済や文化を発展させてきました。

鎖国中ですから、海外からは何も輸入せず、すべて必要なものは国内で賄っていました。

そのために、様々な回収業者が、落ちている紙屑一片、古釘1本まで回収したり、どんなものでも修繕する専門業者がいたりで「廃棄する」ということがなかったのです。

灰や、ろうそくのしずく、人間の排泄物まで有効利用されていたのですから徹底しています。

しかも、その循環は必然的なものであったようで、ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)のニュースレター「日本の江戸時代は循環型社会だった」では次のように述べています。

江戸時代は、現在のように「ゴミ問題」を解決するためにリサイクルをしていたわけではありません。もともとモノが少なく、何であっても(灰のように現在は厄介者扱いされるものでさえ)貴重な資源でした。新しいモノは高価で簡単には手に入らなかったので、ほとんどすべてのものがゴミにならずに、使われ続けていたのです。

当時の江戸の人口は、約100-125万人と言われており、世界最大の都市だったようです。

パリ67万人、ロンドン86万人と比べても、圧倒的な人口と、人口密度のこの都市で、ここまで完璧な循環型社会が成立していたことは驚異的です。

これは、化石燃料が使われる以前の「古き良き時代」の話だからでしょうか。

私たちにできること

戦後のプラスティック製品、容器などの普及に比例して、使い捨て文化が定着し、ゴミ問題が後戻りできないくらいに深刻化してきました。

けれど「後戻りできない」ではすまされないとは誰もが思っていることでしょう。

私たちは、大量生産による恩恵と弊害をよく考える必要があります。

生産者側の環境問題に対する姿勢、消費者側も、目先の欲望に踊らされず、大事なものを自分で選びとり、使い切る姿勢がこれからは一層、もとめられることでしょう。